Hちゃんのパパが、ポーランドへお仕事の転勤が決まったのは、2021年の秋頃でした。先にパパが行かれ、お正月はこちらで過ごし、落ち着いてもう1月の終わりには、日本を発たれるという事でした。うちで習い出しちょうど1年くらいたち、今年はぜひ発表会ねえ〜と言っていた矢先だったので、なんとなく私もショックで、ママも残念がってみえました。




でもうちの毎年恒例の、3月発表会2か月前の、ライン動画会、まだ暗譜してなくてもいい、ただ1月の最後の週に、とりあえず曲を通して最後まで弾くのをライン動画でとり、それを後にみて、さらに発表会に向けて、頑張ろう企画は、Hちゃんも選んだ曲で、撮り終えました。いよいよ寂しいけどお別れねえ〜という頃に、ママより連絡がはいり、「出発が1か月ほど延びました、2月までレッスン行かせてもらってもかまいませんか」と。さらに「このままレッスンが、プツっと切れてしまうのも寂しく、とはいえ向こうで先生を捜すのはかなり大変です。もし先生さえよろしければ、向こうへ行ってから、オンラインでレッスンできないでしょうか」とのご相談が、ありました。





確かにさらにもっと何年か前、やはりお父様の海外転勤のため、ピアノをやめてしまった子が、もう3年たって帰ってみえ、お母様が、向こうでもピアノ、続けたかったけど、下の子もまだ小さく、連れてもいけず、忙しさに追われ、あっという間でした・・・・とのことで、あの頃は、そういう私も、オンラインレッスンなんて考えてもいなく、世の中全体、やはりコロナのせいで、対面レッスンがやれなくなり、レッスンにオンラインを導入して、そのおかげで、とぎれることなくレッスンが、やれました。





とはいえ、Hちゃんとのラインレッスンは、時差もあったりで、やはり毎週平日のいい時間にはレッスンはできず、でも土曜日で、不定期とはいえ無理なくできています。それより、今から思えば、全くHちゃんの家族がポーランドへ行かれた時は、ロシアがウクライナに攻撃を仕掛けたまもない頃で、ポーランドはまさに、ウクライナのお隣国、かなりの非難されてみえた方も多く、Hちゃんは当時小3、下の妹ちゃんは、2〜3歳くらいでした。向こうに着いたら、入るべきお家の方が、家族でコロナになり、引っ越しができず、急遽Hちゃん家族は、しばらくホテル住まい、通常なら届いているはずの荷物も大幅におくれ、パパさんの会社のウクライナ支社からの、非難家族の人々への支援にも、ママは下のお子さんを伴い、頑張られた御様子でした。






というわけで、やっとお家も落ち着き、レッスンが成立した時は、、その行かれた年の夏休み明け・・・9月になってました。でも初回から何ていうか、とっても明るいというか、ほのぼのとしたゆったりしたものが感じられ、こうして今現在そろそろ2年経とうとしてますが、相変わらず、レッスンは楽しいです。





Hちゃんは、まあ誰もが大体そうですが、そのピアノの置いてあるお部屋に、レッスン時、ママとか、とにかく他の人がいるのは嫌で、一応レッスンまでに鍵盤が見られるよう、セッティングして、レッスン時は、Hちゃんだけが部屋にいるというスタイルでやってます。ただ、たまーに、急に画面が真っ暗になり、でも音はちゃんと聞こえるけど〜みたいになり、「あれ〜,ママー、ママー」と大きな声で何回もよんでみても、反応なく、「もういいよ、とりあえず音はきこえるし、私の画面はそっちに映ってるよね、このまま続行しよう!」となったり。





面白かったのは、結構隣りのお部屋から、妹ちゃんの大きな声がきこえたり、ある時レッスンが終わり、最後にママと次回の日時打ち合わせるため、いつもママを呼んできてもらうのですが、その日「あれ〜部屋のドアがあかなーい!」となり、Hちゃん、また大きな声で、「ママー、ドアが開かなーい!」と何回も叫んだ後、ガタがタガタ〜と、引き戸なのかな?なんとか開けられ、「すみませーん、おさわがせいたしました〜」と、ママがはいってみえたり、・・・・。





Hちゃんちは、もちろん多くて月2回、稀に3回、どうしてもお互い都合合わず、1回の月もあります。でも途切れず続けてきて、当初たくさん余分に買っていってもらった本も、1冊の曲集は、まもなくおわりです。まだまだロシアとウクライナの関係は、簡単に解決そうにありません。でもH家は・・・ Hちゃんは・・・ ゆったりと、しかしやすまず、前進しています。しかしその前進に、僅かながら力になれてるのが、嬉しい今日このごろです。




東戸塚Keikoピアノ教室では、皆様の体験、お待ちしております。